夢とうつつの夕時雨

ぐらぐらな僕を素敵にしたい

離れた学校というもの

お腹が死んでいます。まあそんなことは良いとして、今僕が置かれている状況を考えるためにぷらぷらとブログを書きます。最後に書いたのが一週間以上前です。僕は精神を安定させるために考えを吐き出すことを精神的に死ぬ前に自主的にやろうと思っていたのに、それをやっていなかったためこの一週間正確な判断ができず感情的に動いてしまったのではないかと後悔しています。

僕はかなり宗教に関して小さい頃から親や親の知り合いから影響を受け、宗教的な考えをしてきたのですが、僕があまりに感情に任せて行動をするので、自分でもこれは運命的ななにかなのかと思い始めています。少し自分でも危ない人間になりつつあると自覚しています。僕が怒りに任せて誰かを罵倒している時にも一つ下の精神のレイヤーはこんなことしても時間の意味がないと思い、それはすぐ現れてはまた消えるのですが、少なくとも後から考えてみると、いくら思春期のホルモンバランスがどうのこうのとはいえ、僕の理性は僕の行動は間違っていると訴えているわけです。なんだか気持ち悪いのでしっかりした文章を書く気力がありませんが、とりあえず考えたことをずらりと書きます。

予定説、というのでしょうか。大いなる存在が仮にいたとして、とある人間が努力をするしないに全く関係なくその人の運命は決まっているという考え方です。もしくは、その努力するしないがもう既に運命に組み込まれているのではないかと思えてきました。例えば、セールスマンはだめだ、騙されてはいけないと考える主婦がいたとします。しかし実際にセールスマンがドアの前に現れてこの商品はどうたらこうたら、素晴らしいので買いませんかと言うと、理性ではだめだと思っているのに買ってしまう、というような。なんだか気持ち悪さが本腰を入れてきたのでやめます。