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夢とうつつの夕時雨

ぐらぐらな僕を素敵にしたい

最近

最近学校や教育について考え悶々としています。まあ、いつだって学校に通っているときは不満が募る一方なのですけれども。ドリフターズというめちゃくちゃカッコ良い漫画を読み、ますます考えてしまったのですが、例えば日本史を学ぶ際に、誰それが何年にこうした、ではなく、その人物の溢れ出る人間性などについて熱い話を聞きたいわけです。その方が記憶に残りますし、なにより世界に興味が持てる。歴史や文学の勉強はいわばこの世界に長年住んできた人間たちがどう生きてきたかを理解するために存在するのです。でも結局はこんなことをグータラ考えて俺って頭良いと思いたいだけで、考えた直後にくだらないアニメを見るわけです。はあ、もうやめたい。

また、一昨日は、21世紀にもなったのに人に石を投げてくる18歳の人間がいることに驚き、絶望しました。なんというか、人間の進歩とはなんぞやと空の向こうにいらっしゃる誰かさんに問いたくなります。手加減はあった、とか、お前はジョークが通じない奴だね、だから許せるなどという問題ではなく、その行為自体がもうその18歳は人間としてダメだと自分から表現しているようなものなのです。なぜ人間は皆違うのですかね、というか当たり前なことをいまさら気づくという感じなのですけれど、その人は人間の常識、この際、人に石を投げてはならないというルールを取得できなかったわけです。もしくは取得しながらもその存在を無視していた。お前は一番身近な媒体であるテレビも見ないのか、18年間生きてきて何を考えてきた、と問いたいのです。どうでもいいですけれど。なんだか鬱ブログになりつつありますね、これ。

もっと頭をよくしたい。切実な願いです。しかし頭をよくしようと授業に取り組むことがバカらしくて、またそれでストレスがたまりくだらないアニメなんかを見てしまう。頭のよい、もしくは賢い人間というのは、自分の世界が確立していて、適当に生きている人のことをいうのでしょう。いいですね。そうなりたいです。

僕はとある人に僕に文学の才能があると長年の勘でわかると言われたことがあります。今まで書いてきたことを読み返すと全然そうは思えませんが。僕は最近作家になりたいと思うようになりましたが、きっと一冊くらい家族が買ってくれて終わるでしょう。しかし僕は表現をやめたくはありません。たとえ内容がどんなにくだらなく、悲観的になっても。