夢とうつつの夕時雨

ぐらぐらな僕を素敵にしたい

20160711

また一日が過ぎました。

今日は授業をぼやっと聞いて過ごし、放課後は植物園へ行きプラプラしました。変な植物やグロテスクな見た目の熱帯植物を観れたので良かったです。写真をいっぱい撮ったので、見返して絵を描くときの参考にするのが楽しみです。なんというか、今日もいろいろと主に対人で嫌なことがあって、思い出すと悲しみと怒りが湧いてくるのですが、それもあと十三日いつものようにぼやっと過ごせば良いと思うと、気が少し楽になります。

昨日のブログに書いたポッドキャストについてなのですが、森沢明夫さんという作家さんが中学、高校と人間嫌いだったのが、一人旅をするようになって人間の温かさに触れた、ということを話していて、いずれそうなれるのかなあ、と半信半疑に思いました。潔癖症の人が他人をただ雑菌を繁殖させている生物みたいに考えるように、僕は家族以外の人と話すことに何ら快さを見出せません。もちろんそんな極端な考えまではいかないので、学校で一人ぼっちはある程度寂しいし、家族がどうでもいいと思うことを聞いてくれる人がいれば嬉しく思います。でも他の人がどうかわかりませんが、少なくとも僕の周りにいる愚かな高校生たちは、自分が正義であるように常に思っている感じがします。それは僕も含めてですが、細かく言えば、僕はこうしたいから誰かさんも付き合うべきだ、とか、彼の性格は彼自身治すつもりは全くない、みたいなことがありふれているのです。

例えば、一つの問題が二人の間に起きた時に、どちらが悪いかなどというのは、決められないわけです。牛乳を噴いた人が悪いのか、噴かせた人が悪いのか。僕は考えてしまえばいくらでも僕が悪い側という風に考えられるので、同級生にいいように使われてばかりな気がします。僕の本当の価値は僕しか見出せない、そんな状況にやきもきします。でもやっぱり矛盾していますね。僕が優しいとか気が弱いとかそんな甘ったれたことではなく、ただ彼に少し問題があって、それを指摘すれば指摘した方が社会的に危うくなる状況にいるのです。要するに、関わらないことが一番、が答えです。でも実際は関わらなければ僕が困る状況があと2週間続いてしまうのです。忍耐力が試されている。

社会、困ったなあ。

きっと愚かな子供だからこんな風にモヤモヤ苦しんだりするのでしょう。幼稚な子供が子供に対して怒っている。きっと田舎のお婆ちゃん相手だったらもっと楽しく、それこそ人間の温かみを感じられるのではないかな。子供対すごく大人、がベストなのかも。

そんなこんなで、今日の日記を終わります。

おわり