夢とうつつの夕時雨

ぐらぐらな僕を素敵にしたい

20160813

人間が方向を指す時に何を意味しているのか、わかりません。北と南は東と西よりかは「わかる」ような気がします。地球の全体像からみて、温度の違いがあったりするからかもしれませんが、考えてみれば極北も極南も同じだし、現に「きょくなん」と書いて極南が出てこない時点でなんだか不思議な先入観がはびこっているのだなと思います。そういう「力」があると信じている人に、僕は北と東がよいだろうと言われましたが、なんでしょう。意味が解りません。急に鍵括弧の使用回数が多くなった。

「」

エボンの賜物ですね。

 

僕には宗教家や超能力者が持っているような力は生憎無い。計り知れない何かが存在していることを信じることはできる。現に信じている。信じようとしている部分もある。信じていること、それのすべてが僕にとっての真実であり、僕の血肉になりうる。僕が自我として受け入れている何かは、信仰そのものであって、自我など無いと思ってしまえば、僕は過去がもたらした影響や現在の状況から作り出された操り人形とも言える。宗教とはとても意味のある、便利なものだ。自分を高めるために使えれば、だけれど。メタ視点で見ることを異端者とみなす宗教家はいっぱいいる。しかし本質的に力が無いことを仮定とする、とある宗教家が、単純に自分は力があると信じていれば、それは彼にとっての現実であり、彼の言葉が影響して他人の現実になることがあるだろう。

 

先日姉に言ったくそみたいな助言を馬鹿みたいに聞いたようで、姉は本を読んだりしています。僕より読書スピードが速いので内心焦っています。しかし社会など気にするだけ無駄だと、言い聞かせなくてはなりません。僕は姉にはなりえないし、僕は好きなことを精神の赴くがままに行動すればよいのです。それならば死ぬ前の一秒間、少しくらいは満足できるのではないかと思うのです。

結構過激なことを書きましたが、正直考えがまとまっていません。

そんなこんなで、また明日。

おやすみなさい。