夢とうつつの夕時雨

ぐらぐらな僕を素敵にしたい

20170813

一回面白みを感じる感性をリセットする必要がある気がした。

浪人生活が始まってから何かをしたいという気持ちがなくなったのは昨日色々と書いた。ずっとタイムラインを追うか、バラエティ番組を見ているか、音楽を聞いているか、ごく稀に絵を描くか。こんな人生はやめたい。いずれやめなくてはいけない時がくるのだけど、それまで待ってはいけない気がする。僕自身で自制をしなければならない。プルスウルトラどころではない。まずマイナスから0に自力で這い上がらねばなるまい。

OMODAKAという人の動画を見ていた。MVよりライブの方が面白かった。これだけの世界観、エンターテイメント性を一人で作り上げられるのはすごいと思った。中身はどんな人なのだろうと検索したら優しそうなおじさんだった。僕は表面ばかりを見ているんだなーと思った。それからこれだけの面白いものが世の中には溢れているから、僕は一生面白みには困らないのではないかと思った。「n番煎じですがすみません」と言うフレーズを思い出す。針の一点ぐらいに精密な狂気なりフェチズムなりが頭の中に出来上がっていないと、世の中の人を見ながら創作をするのは無理があるのではないかと思った。僕は世の中を見すぎているのかもしれない。それか単なるようつべの見過ぎか。また自制ができていないという点に共通して、僕はパソコンを全く使いこなせていないと思う。パソコンで遊びすぎている。いや、遊んでいるならまだいいけど、だらだらと情報を流し込んでいるだけだと思う。あとはメンタルが高校生のままだから、何かサブカルチックだったりニッチなものを知っているということイコール賞賛される、という頭になっている。他人の功績を利用しているだけで、本質的な面白みなんて本当は感じてないのじゃないか?ミーハーなアメリカンみたいに、これ、エキゾチックで「変」だし、これ知ってるオレ、かっこよくね?みたいなノリは僕が一番憎悪する部類だ。お願いだからそういうやつになってませんように。

いつも夜になると瞑想をしようと思うのだけれど、深夜になっていて体がだるくて瞑想をしようという気にならない。体がだるいと頭が妙に冴えて、情報が夜の蛾みたいに飛び放題になる。朝もまた寝てるんだか瞑想しているんだかわからない状態になる。まあ感性をリセットしなければならない。僕は屁理屈をこねすぎなのだ。根性で片付けるのは面倒臭くて嫌だけど、たまには理屈のない力が必要だ。

おわり